歌舞伎絵 芝居絵は絵草紙と並ぶ江戸のお土産でした。特に6ページ目の「勝川春章の中村仲蔵の定九郎」は名作です。
 武士階級の教養である能楽に対し、芝居は庶民階級の楽しみでした。 江戸時代のはじめの100年間位は芸能も京・大阪が中心でしたが、元禄時代・1700年頃から芝居も江戸が中心になり、同時に錦絵が発達して、芝居絵・歌舞伎絵は江戸の貴重なお土産になります。

出雲のお国の古図
芝居は元禄時代頃までは、身分のある人が立入るべきでない場所とされ、武士などが立入る時は、編笠などを被っていました。 その後、女性の支持向上に従い、忠臣蔵・仙台萩など武士階級の出し物も現れ、徐々にステータスが向上していきます。 芝居絵も右の様な舞台絵から役者のポートレートが主になり、写楽の様に海外からも優れた人物画として評価されるまでになって行きます。

  浮絵と呼ばれる遠近法を取り入れた絵です
江戸が開けて200年・江戸が文化の中心になった 元禄から100年近く経った1800年代前半が   江戸最大のバブル景気を謳歌した文化・文政期です。 この時期になると大劇場は花道やせり上がりなど 今の歌舞伎座に見劣りしない設備を備えます。 十一月の顔見世公演の時は、大変な賑わいになります。

  現在の歌舞伎でも外郎売や白酒売の口上が残っています
芝居絵の初期は、右の様な市井の流行りの口上や、左のお夏清十郎の様に実際の心中などの事件をもとにした出し物など、現在のテレビのワイドショーの様な内容が多く演ぜられました。 このころの芝居絵は舞台の華やかさを画いたものが主で、役者はみな同じような美男・美女に画かれています。

  五代目団十郎 中村松江 中村仲蔵 三代目沢村宗十郎
後期には、観客は芝居の内容は充分知っているので、役者絵すなわちひいきの役者を 目の前に見る様な、特徴を捕えた絵が好まれるようになります。 ここで髭の意休を演じている初代中村仲蔵の売り出しの糸口となったエピソードと、 春章の見事な役者絵を次ぺーじに紹介します。

扇絵の形に見事にフィットした名作  初代中村仲蔵の定九郎
落語に中村仲蔵というのがあります。 名門の出では無い役者仲蔵は力がありながら、好い役に恵まれません。明和三(1766)年 忠臣蔵の公演で与えられたのは定九郎一役でした。
この役は当時は薄汚れた山賊姿で与一兵衛を殺して財布を奪うだけの端役に過ぎませんでした。
何とかこの役で当りを取ろうと、信心する妙見菩薩に願をかけた帰り道、雨に降られた無頼の旗本の姿を見懸け、それをヒントに、左の様な型を作って大評判になり、一躍大スターの  仲間入りをしたという話です。
その後定九郎は売り出し中の若手役者が演ずる好い役になり、現在に至っています。

似顔絵シリーズ
役者絵の珍品を一つ紹介します。歌川邦芳の『荷宝蔵壁のむだ書』すなわち蔵の壁のラク書 と言う名のシリーズの一部です。
天保の改革で役者絵が禁止されても、それを逆手にとって、こんな物を作りだすのが江戸っ子の心意気なのでしょう。
特徴を捕えた素晴らしい似顔絵で、名前は無くても、ファンには判ったはづです。

役者絵の終焉
歌舞は幕末から明治にかけ九代目団十郎五代目菊五郎などが輩出し、古典劇として完成され、能楽と肩を並べる地位を確立します。
役者絵も洋画の技法を取り入れながら、明治中期まで存続しますが、その後写真に取って代られるようになります

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