すし屋
蕎麦屋
天ぷら屋
居酒屋
飴売り
茶屋
盛り場には多くの茶屋があり休み所になっています。店番は爺さんから浮世絵
のモデルになる美人までいろいろあり、場所に応じて百円から数千円の茶代を置きます。
にぎり寿司はこの文政のころ屋台店の立ち食いから始まり、江戸湾の新鮮な
魚貝のおかげで あっと言う間に江戸の代表的な食べ物にまで発展しました。
品書きです。そば・あんかけうどん十六文から あられ(青柳貝柱乗せ) 天ぷら・
花巻(もみ海苔乗せ) しっぽく(焼玉子・蒲鉾・椎茸・くわい等乗せる)
玉子とじ さらに大蒸籠御膳の四十八文まで。
一文は20〜30円位の感じでしょう
天麩羅も江戸湾の魚貝を串に刺して串揚げにして、いっぺんに人気があがりました。
それでも始めはあまり品の良いものではありませんでした
うなぎは開いてタレを付けて焼くようになってから高級食品になりましたが、江戸中期まではぶつ切りを焼き、味噌味で食べる人足向け強精食でした。
旦那だけが飲み食いして、下男はただ待っているだけなのでボヤいています。せめて締めの茶漬けくらい食べさせてと思っています。
酒くせの悪い客にてこづっているのは、今も変わらない風景です。
団子屋
この団子を食べている少年は、鮨店・焼芋に居るのと同じ、お使いの帰りの小僧さんのようです。
使いのお駄賃での買い食いが
一番の楽しみでした。
飴売り・菓子売りは、長屋まで始終売りに来ます。この店は屋台店ですが、多くの種類の飴を売っています。
看板の八里半は、栗(九里) に近いと遠慮していますが、中には栗より(九里四里)うまいと言うので『十三里』と書いた看板もありました。
手遊び物は蝶々・風車・花かんざしなどの子供むけの細工物です。
竹棹にわらを巻き付け、細工物を挿して売り歩きました。
俳句では夏の季語になっている様にトコロテンは夏の食べ物です。
このような店は季節により焼芋屋やおでん屋に形を変えて営業します。
京阪は専ら夏夜のみ売る。一椀六文とす。江戸は四季これを売り一椀八文とす。と守貞漫稿という本にあります。
二百円位でしょうか。
江戸時代 西瓜は赤い果肉が気味悪がられ・上品な果物ではありませんでした。
狂歌の屠蘇袋は紅絹で造った三角形の袋で、切西瓜の形なのでしょう。
唐辛子屋
植木屋
覗きからくり
見世物
軽業
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曲場(サーカス)
曲馬は馬術の見世物ですが、はじめは、馬上での早変わりや芝居をを実際の馬を使って行いました。
幕末には米国のサーカスが来日し大評判になりました。
楊弓(ようきゅう)は矢場(やば)とも言い、射的場です。大当たりすると キレイなお姉さんが「大当たり!」と叫んで賞品が貰え、名前を張り出してくれます。
寄席
講釈
娘浄瑠璃
かわら版読み売り
辻占い
ビラ配り
かんげ
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