2014年に開催されたボストン美術館葛飾北斎コレクション展示会の公式図録の中にも 組上灯篭が二組有るのを見つけました。
左のページには『新版組上げ灯篭 天の岩戸神神楽の図 上下』 右のページには『・・・浅草寺雷門』と書いてあります。
隅の方に『組上がりの図』と書かれたスケッチがあり、これを頼りに組み上げるようになっています。 

天の岩戸伝説は、須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴に嫌気のさした天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩屋に閉じ籠ってしまい、日月の運行まで大いに乱れたので、神々が相談し、岩戸の前で賑やかな宴を開き、その様子をうかがうために天照大神が岩戸を開けるところを引出そうとの策を実行します。
天の岩戸にはこの策の実行者(神?) 達が描かれています。宴を盛り上げる主役があめのうづめのみことです。 引出し役が手力男命(タジカラヲノミコト)ですが、ここでは戸隠明神の名になっています。



には天照大神と岩屋があり、○上○下 合計で18個の部品になっています。 部品点数も少なく、◆◇等合わせる場所の合印や配置の指示が多数記入されていて、全体の組み方はすぐわかります。



組上げると こうなりました。手力男命が戸隠明神になっていたり、古事記・日本書紀ではこの場面に居ないサルダヒコが大きく画かれていたりするのは、これらを祭る神社の神楽舞が元になっているものと思われます。 楽人たちも神楽奏者の姿です。



雷門前 こちらは、 しんはん と書かれているだけで、題名も作者名もありません。それでも組み上がりの図が有り、この部品6個で組み上げることが出来ます。雷門である事はは、喧嘩をしている人物の注にかみなりもんの前に立てると書いてあることからわかります。多分いくつかの他の物と組になっていたのでしょう 。



  浅草の雷門の前で喧嘩があり、通りかかりの女性や、講中と書かれた提灯を持つ団体参拝客がのぞいている所です。
独身男性が多数であった江戸では、『火事と喧嘩は江戸の華』と言われるほど喧嘩が多く見られました。
真ん中の生酔の男が下駄を振り上げ、四人の男達が、手足を押さえこんでいます。後ろの頭に手に当てている男は、最初に打たれた様です。手足に取り付いている男達もそんなに深刻な顔ではないので、仲間かもしれません。
江戸の日常の一こまだったのでしょう。



  前の湯屋を含め組上げ灯篭を三種類紹介しました。
今回紹介した天の岩戸は部品18点 浅草雷門は部品6点なのでそれほど複雑ではありませんでしたが、最初の風呂屋新店は百点近い部品で構成されていて、これだけの物を作り上げた作者の力量に感心しました。
江戸の人たちは本当にこんな物を作っていたのでしょうか。実際には元の図を楽しんでいただけなのかもしれない疑っていましたが、この図録には 『組上げ灯篭は切られてしまうのでほとんど残っていない。天の岩戸上下が揃っているのが確認されているのはボストン美術館だけ』との解説がありました。
図録には、岩戸と雷門は天保年間と記されていて、北斎 四十歳ころの作品です。上の湯屋も絵が似ているので同じ頃の物でしょう。
岩戸の出版元は丸屋文右衛門となっています。湯屋の方は『はんもと丸』の下の字がわかりませんでしたが、丸文なら合うので同じ版元と思われます。

灯篭は元々照明装置ですが、お盆に飾る盆灯篭にいろいろの飾りを付ける様になり、そのうち飾り物その物を灯篭と呼ぶようになりました。 下のちょっと楽しい画は、山東京伝の骨董集から引用したもので、画は京伝が都歳時記の図を模写したものです。 『京都北の岩倉・花園両村の少年の女子 おのおの大灯篭をいただき、八幡の社前に集まりて 男子大鼓を撃ち 笛を吹き 踊りを勧む。これを灯篭踊りと言う。頭上の灯篭は踊る女子の家々で春初よりこれを造り その造る模様を秘す』という説明と、『延宝二年の書都歳時記に此の図あり』と『延宝二年は今文化十年より およそ百三十九年の昔なり』という書き込みがあります。 文化十年は今(2017年)からおよそ200年前なので、元図は今から340年ほど前の物と言う事になります。



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