かけおち
琵琶湖が富士山を見染め、深い仲となって、宝永山と言う子供まで作ったと評判になり、耐えられず駆落をして宿に泊まったら、床の間に富士山の掛け軸が掛っているので、富士山が「もう捜索の手が回っている」と嘆いたと言う話。
これは安永六年(1777)年の酉の御年咄にある話で、富士山の宝永噴火は宝永四(1707)なので七十年も前ですが、話自体は噴火の後すぐに作られたものと思います。
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船
隅田川の最下流にかかる永代橋に、本来川に入れない千石船(親船).がぶつかり、通行止となった。親船から浅草の米蔵に荷を運ぶ近在船は、いつも永代橋の下をくぐり永代橋世話になっているで、親船の見舞いにも行きにくい等と言っていると、釣船が、昨日から平田(ひらた)船(ぶね)(底の平らな川船)で渡りが始まったから大丈夫と言う。
渡りが付いたには話が付いたの意味がある。
時事ネタに隅田川の船尽くしを盛込んだしゃれた小咄。
雷親子の夕涼み
雷の親子が黒雲に招待され両国橋の夕涼みに出かけ、花火が始まります。
雷夫婦(妻は稲妻)はびっくりして、「蚊帳を吊って子供を入れろ」と騒ぎ、子供は雷除けのまじないの「桑原桑原」と唱えます。
クワバラというまじないは、昔桑原に落ちた雷が大けがをしたと言う伝説があり、ここは桑原なので、落ちると危ないぞという雷除けの言葉なのですが、雷が唱える所が面白いのでしょう。
七福神の宴会
最後に目出度い七福神を。
恵比寿様が鯛ならぬマグロを釣り上げ、どうやって喰おうかと相談していると、寿老人が葱を手に入れてネギマにしようと言う。
神職を禰宜(ネギ)と言う事があるのを江戸市民は心得ていました。
七福神―神職―禰宜―葱―ネギマ の連想がすぐつながったと思われます。