黄表紙は、筋より 各ページの絵と、シャレや、こんな事アルアルと言ったちょっとした面白さを見つけるものです。
筆者なりのヒントを、ページ下に書きますので、参考にして下さい。
まず最初は下までスクロールして絵をお楽しみください

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 主人公は『ダダラ大尽ひろむね』。合戦物らしく、100万石の太守と言っていますが 『ダダラ大尽』とは 放蕩者 特に吉原等で無駄な金を使う馬鹿者のことです。
『餅の皮をむく』は無意味な贅沢。 『メンドリが時を作るは』は家内の取り締まり担当の女性が、主人担当の業務に口を出して、家内が乱れる事を言います

家内では、奥様の『覚悟の前』が小判で行水をする様に、贅沢三昧。
 『土用布子・寒帷子』は季節に応じた家内取り締まりが出来ていないことを言っています。

 さすがにだらしない 『ダダラ大尽』も目を回して慌てています。
 経済担当の台所奉行『小遣いちょうだい』はこの様子を見て、これは先行きが危ないと感じ、この様子を敵側の 『掛け取り(借金取り)城』に内通する決心をします。

 こちらは敵役の『掛け取り城主 小鍋粥の守上澄』。 戦記の形なので、城主になっていますが、実際は金貸しをイメージしています。
おかゆは水分を多く含み、ケチな商家では、米の消費を減らすために多く使われると思われていました。
 納豆は、お寺から毎年お歳暮として檀家に配られました。ただ取りとは、お寺に お布施も出さないのに 納豆だけは受け取ると言う意味です。焼き味噌も、安価なおかずの感じが有ります。
 『よしの髄から天井をのぞく』 は小さな事にこだわり、大局を見ない事です。

 掛け取り城の 戦勝祈願です。 祭られているのは『貧乏神』で、この頃、どうしても貧乏から抜け出せない商人が,貧乏神を丁重に祭ったところ、貧乏神は居心地が悪くなって去って行き、その後裕福になったという話があります。 
 また有る神社で貧乏神の堂を建て、『お参りの無い方にはこちらから伺います』という宣伝をしたところ、大層流行ったそうです。
『粟の御前』はの『小鍋粥の守』の奥方。 粟飯も大変安い食事です。

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 掛け取城の軍勢が押し寄せると聞き、『ダダラ大尽広胸』の軍は城に立てこもります。
 状況は、金貸しが追加の貸出を断り、今までの貸金の返済を迫ると言う事です。
 このページは全くの軍記の形なので、葛飾北斎の絵を楽しんで下さい。

 掛け取軍の先鋒は、屑は五左衛門。
 この名は 不用品回収業『屑屋』の呼び声『くずはゴゼー(屑は御座いませんか)』から来ています。
 柳原は古着屋の集積地。取り立て側は、着物などを売ってでも返済しろと迫ります。

 広胸側では、取りあえず借金取り立てを無視して、不用品を集めて質屋に持って行き、その場をしのごうとします。。
 真ん中の『質物八ヶ月限り。質蔵での鼠喰いは責任持ちません』 ののぼりは、質屋の看板です。

 奥方も、蒔絵の鏡台の中から贅沢品のタイマイの櫛等を提出しますが、そんな物位ではどうにもなりません。

 

 奥方の 覚悟の前 は乳母に連れられて、逃げだします。
 もうお前しか頼る者は無い。

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借金取りの取り立ては厳しく、質は流れ、家財は売られ、ついに破産が目に見えてきます。

 奥方は逃げ、取り立ては厳しく、広胸は店をあきらめ、ひそかに別邸に遁れます。

 そこで、店では表に『当分の間 商売を休み 奥へ引きこもります』 『間口八間 奥行き二十間(160坪)の店売ります』の破産宣言を行います。
 今までの戦国時代の絵から、江戸の町中の景色に変わっています。ここが黄表紙の面白さです。

 債権者は、奥方をさがして、直接請求しようとしますが、乳母は必至で隠します。

 主人の広胸は、ひいきにしていた太鼓持ち 『世の中承知の助呑末』 がかくまいます。。

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 太鼓持ち達は、借金取りたちを追い払います。
 太鼓持ちと言うのは、遊所で客に金を使わせるのが商売ですから、破産した客の面倒を見るわけがないのですが、この場面は戦いの絵を描きたいために作ったか?とか 何かその様なモデルがあったのか?などと余計な事は考えず、ただ画面を楽しんで下さい。


 さて、戦局が膠着したので、掛け取勢は周りでたむろしています。
 そこへ、広胸の忠義の家来 足軽の夫婦が 物売りと夜鷹(私娼)に化けて様子を伺います。
 実はこの場面は、江戸の道路河川改修などの工事現場に、物売りや夜鷹が入り込んでいる様子である事は、読者にはすぐ判ったはずです。


 そこへ、ダダラ大尽広胸 の先々代の手代が起し、今は手広く商売を行っている者が、救済に立ち上がり、借金を皆済して、騒ぎは収まる事になった。
 太鼓持ち『呑末』もうまく立ち回り、利益を得た様子を。

倒産騒動の解決が見えたところへ、江戸時代に信仰された『三宝荒神』の神が現われ、広胸には「家業に励め」 掛け取勢には「倹約ではなく吝嗇(ケチ)になっている。楽しみにも金を使え}と教訓する。 
 『三宝荒神』は 阿修羅 と同じ 三面六臂(顔面3 腕6) の荒神ですが、見え坊・しわん坊(けちん坊)・辛抱の三つを合わせて『三ぼう』だとシャレています

 黄表紙の最後は メデタシ・メデタシで終わる事になってます。またこれで四方丸く収まり、読者の教訓にもなると言う、寛政の改革以後の検閲に対する言い訳にもなっています。

 

 作者 時太郎可侯の挨拶です。可侯は葛飾北斎が、黄表紙を書くときの名前です。この本の出版は寛政12年(西暦1800年)で北斎41才の時の作品です。『竈将軍勘略の巻』の内容が紹介される事はほとんどありませんが、この絵は自画像として時々見かけます。黄表紙なので、ずいぶん年寄り臭い姿に、誇張されています。

 
 この書は200年以上前の出版物ですが、筆者が持っている者は大正時代に復刻されたものです。
 基本的に、書かれた文章はその通り現代文にしたつもりですが、読みにくいので平仮名を勝手に漢字に変えました。

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