正月
二月
田植え
ホトトギスの初音よもう一声 ホトトギスの声より面白い田植歌
たはらかさね耕作絵巻
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1月元旦
渾沌としていた天地が別れ、太陽神の天照太神(あまてらすおおみかみ)の恵みで農業が始まった。
その時に鍬(くわ)や鎌(かま)が与えられたと言う事である。
そのため伊勢神宮は丸木の柱で茅葺の農家を形取り,、鋤(すき)・鍬(くわ)・犁(からすき)は最重要な宝物として御内殿に納められている
農家では元日早朝 伊勢神宮の方角へ向かい天照太神に太陽の恵みを祈る。
2日は田畑の神 3日は山の神に祈る 4日は女の集まり祝う日である 8日は山の神が野山を廻られる日なので、人間は山へ入らない
14日は、まゆ玉を作り、樹木をたたき 養蚕・果樹作りの成功を念ずる
11日又は15日には農事始めの鍬入れを行う。3度鍬を入れ、松を立て豊作を祈る。
二十日仕事始めで縄(なわ)をない、藁(わら)を編み 恵比寿講(えびすこう)の祝いを行う
正月も過ぎ、雁は北に帰り、燕が巣を作る彼岸が来ると 米作りの準備が始まる。
もち米・うるち米・わせ・晩稲など目的に応じた種米を水に浸し苗代作りに備える。
うぐいす菜・大根・わけぎ・アサツキ等の野菜作りも始まる。
野に生える蕗(ふき)・わらび・嫁菜(よめな)・土筆(つくし)・独活(うど)・ツバナなどが春の食卓をにぎわせる
里芋を植えチシャを植え 茄子(なす)・唐辛子(とうがらし)・玉蜀黍(とうもろこし)の種をまき その間にはタデ・シソ・青菜を植えるうちいつの間にか開いた梅も散り尽くし山吹・コブシ海棠(かいどう)・山桜など風流に縁の無き百姓達も花に染まり 日の伸びるころ
漬けて置いた種籾も水を含み 植え時を迎える。
苗代を整え 一粒が万倍に増える様願って種をまく。
田の水口にヌルデの木を挿し烏午王(からすごおう)の御札を立てる
農民心を浮立たせるのがこの時期で 桜咲き 桜散る山の景色を楽しむ
海が遠くても鮎(あゆ)・鮠(はや)・カジカ等を捕り楽しむ 茶摘みも始まり 何より田を返し・田植えの仕度をする。
固くなった土は犁(からすき)で牛の力を借りて掘り起こし馬把(まぐわ)を馬に付けて平らにする。
牛馬の働きは大変なもので おかげで八十八夜の前に 忙しいが準備を終わらせる事が出来る
賑やかな春も過ぎ野良仕事に最盛期に入る
百姓は郭公(かっこう)鳴く野が家になる
麦作の間に畑の畝(うね)に 大豆(だいず)・小豆(あずき)・木綿(わた)・胡麻(ごま)等を蒔く。
月も末になれば麦秋の風も暖かになり農家の大事な食糧である麦の収穫を迎える
用水を手入れし、田植えの準備も忙しい。
主役は女性
妻・子・下女まで田植の衣装をそれぞれに着飾り 髪を美しく結い 流行りの姿で植える。
嫁・娘を雇い 雇われ 互いに力を合わせて賑やかに行う
早苗を苗代から運ぶ時から歌がある
此処に住むイナゴは 家を取られるどうしよう。 それならイナゴも田植に稼ぎにおいで
田植歌は国々に有り 節も様々だが 大体こんな風だ。
年の初めの蓬莱の飾りも 米作りの祝いだ ホンダワラにごまめを添えて祝おう
田植歌
何時の間に実が入る 毎晩通う稲妻のお陰 あれは不思議な光る君
小春めでたき百姓 蔵の内には花が咲く
黄金の花は散らぬは 俵に木枯らしが吹いても
こんなのを掛合で歌う。たとえば片方が
黄金の花は 散らぬは
と歌うと 他方が
俵に木枯らしが吹いても
と繰り返し何度も歌う
「たはらかさね耕作絵巻」は中国の農業絵図の影響で、戦国時代から作られた農業絵巻です。
この耕作絵巻は成立年度・作者不明ですが、大和耕作絵抄より大分古い様ですが田植が一大イベントで有った事がうかがえます。
左は次ページにある「龍骨車・踏み車」です。川や池より高い田畑に水を組み上げる装置で、これで耕作可能地が大幅に増えました。
次ページの画は汲みあげるための回転軸(足の乗っている軸)に回す為の板が描かれて無いので何をしているのか解らない画になっています。
こちらの画では水が上に有る田から離れていて、水が本当に入るのか心配になります。二つ合わせると理解できるの載せてみました
方角を考え田に水を入れる水口を設け給水する。田が流れより高い時は水を自然に流れ込まないので踏み車で汲み上げる 小さな田では桶に縄を付け 給水する
田に雑草が生えると稲は痩せ 育たない 毎日田の草取りに専念する 中でも田稗(たひえ)と言う黒砂なような実を付ける草は食用にもならず しかも稲と似ているので、先ずこれを取り除くと言う。
水田へは川筋から自分の田に水を取り入れるが、雨が少ない時は夜も寝ないで、外の水路を止めても 自分の田に水を入れようとする。
互いに監視し見付ければ 口論になり たたき・わめき・つかみ合いになる事も有る。
しかし互いに遺恨が有る訳ではないので、引き分けた後はあとを引く事は無い。
田に水を掛ける為の論なので、水掛け論と言う。農民が耕作に命を賭けている事の表れである。
風も稲作を妨げず 雨も実りを助ける有難い御代である 7月から 9月の台風の被害も無く 二百十日も無事に過ぎ 穂も充分に増え育てば 百姓は思わず 誰も誉めぬ鼻歌なども出てくるものである
7月末にはそろそろ早生を刈り始め 中手は8月 晩稲は9月の初めに刈らないと霜に会う
百姓の名の通り 一が百になる 収穫だ
と喜び合う
春に耕し 夏に育て 秋に収穫すれば 畔(あぜ)の境界争い水争いで賑わった田も 人気無くひっそりとする
天智天皇
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
定家卿がこの歌を百人一首の一番に据えたのは 百姓を大切にするからである
発句には
刈り稲に 抱きついて死ぬ イナゴかな
鳥防ぎの案山子(かかし)も今は無用になり
稲刈り後 カラスも笑う カカシかな
脱穀と言う作業は大変な作業である。
稲を刈ってそのまま保存すると藁から腐ってくるので、先ず外で干す。乾いてから人馬で運び 管(くだ)という二本の竹で 穀粒を外す
次に臼に入れ芒(のぎ)と言うトゲを取り籾として俵に入れる
年貢米は摺臼(すりうす・するす)という臼でモミガラを取除き玄米として納める
これで収穫作業が完了するので正月同様に祝う。餅を搗き 酒肴を揃えて 皆で祝う
稲刈れば 米こそ家の 守り神
稲作も終った十月十日を亥の子の日として賑やかに祝う
これが済むと 大根・蕪を抜き町へ売ったり 葉を干して干菜にする。蕎麦は初霜を待って取り入れる。芋は掘って茎(ずいき)を取り 又地面に埋め戻しておく。
女達は木綿を摘み 綿にしたり糸にして布を織る事に専念する。六斎機(ろくさいばた)と言って月に六反の布を織り 市に出して売る その間蕎麦(そば)・大豆(だいず)・小豆(あずき)・大角(ささ)豆(げ)・粟(あわ)・麦(むぎ)・黍(きび)・稗(ひえ)などを収穫して 来春までの備蓄とする。
天領も大名領も 十一月に年貢納入を済ませる。
先ず村単位で蔵に集め 代官・手代が庄屋立会の元で確認を行う。知行地では知行主へ 直轄領では指定の蔵に納入する。
年貢済み 万々歳の 民の家
幕府直轄領は 上方では大津へ関東では江戸に運び商人が売買する
農業は四民尽くす仕事である。 これから三月までは農閑期を楽しむことになる。