雷門
仲見世通りの名物
雷門(正式名称は風雷神門)を入ると左右に浅草寺の子院(附属の寺院)が並んでいます.
その門前を借りて土産物屋が並んだのが、仲見世通りの始めです。
また子院のところに かしま・秋葉・弁天と書かれています。これは子院が常陸の鹿島神宮・遠州の秋葉権現・鎌倉弁財天等を勧請して末社(出張所)を設け、全国の神社に参拝するのと同じご利益を得ることが出来るようにしてありました。
つまり浅草寺は観音堂を頂点とした、神社仏閣のアウトレットモールだったのです。
左は歌川広重の江戸名所百景の内の『浅草金龍山』で、雪に覆われた仁王門を風雷神門を通して画いた印象的な画です。
これらに描かれた門は明治維新直前に焼失し、長く仮門だけが置かれていました。
現代の雷門は戦後の昭和三五(1960)年松下幸之助氏の寄進により再建されたもので、その功をたたえて、雷門の大提灯の下には「松下電工」の銘が入っています。
下の図は江戸名所図会より百年程前の絵本江戸土産(西村重長)の内の 浅草観音風景の一部です。前のページと同じ角度から描かれています。 門のところにかみなり門と書かれていて、この頃から雷門と呼ばれていた事がわかります。
今から二百五十年以上前ですが、当時の土産物店が3件描かれていて、右が「めいぶつ浅草のり」中が太鼓・人形等を売っているおもちゃや (手遊び屋) 左の店は「地はりきせる」と書いてあるので、江戸製の煙管を売っている店です。
浅草のりは江戸幕府が今の墨田区江東区辺を大規模に干拓するまでは、浅草近辺まで海水が満ち引きして居て、この付近で海苔が取れていた名残です。地張り煙管は御当地作の煙管の意味で、それまで京・大坂で作られた物が全て上等と言われていたのに対し、江戸製に自信を持ちだした事がわかります。
子ども向けのおもちゃは仲見世でたくさん売られていました。
今でも江戸時代由来の狛犬・招き猫・でんでん太鼓・ 飛んだり跳ねたり等の伝統玩具が売られています