金儲け花の盛り場
本書は江戸最後のバブル時代文政末期の盛り場の様子を画いた絵草紙です。
二百年近く前、江戸では、すでにこれらの店がありました。
各ページに絵と狂歌があり、絵の周囲にはびっしりと戯文が書かれています。絵は面白いのですが、文が長いのは短くしました。それでも店や客の とぼけたやりとりは楽しめると思います

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茶屋
盛り場には多くの茶屋があり休み所になっています。店番は爺さんから浮世絵 のモデルになる美人までいろいろあり、場所に応じて百円から数千円の茶代を置きます。



すし屋
にぎり寿司はこの文政のころ屋台店の立ち食いから始まり、江戸湾の新鮮な 魚貝のおかげで あっと言う間に江戸の代表的な食べ物にまで発展しました。

蕎麦屋
品書きです。そば・あんかけうどん十六文から  あられ(青柳貝柱乗せ)  天ぷら・ 花巻(もみ海苔乗せ)  しっぽく(焼玉子・蒲鉾・椎茸・くわい等乗せる)   玉子とじ  さらに大蒸籠御膳の四十八文まで。
一文は20〜30円位の感じでしょう



天ぷら屋
天麩羅も江戸湾の魚貝を串に刺して串揚げにして、いっぺんに人気があがりました。
それでも始めはあまり品の良いものではありませんでした



うなぎ屋
うなぎは開いてタレを付けて焼くようになってから高級食品になりましたが、江戸中期まではぶつ切りを焼き、味噌味で食べる人足向け強精食でした。


茶漬け屋
旦那だけが飲み食いして、下男はただ待っているだけなのでボヤいています。せめて締めの茶漬けくらい食べさせてと思っています。



居酒屋
酒くせの悪い客にてこづっているのは、今も変わらない風景です。



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団子屋
この団子を食べている少年は、鮨店・焼芋に居るのと同じ、お使いの帰りの小僧さんのようです。
使いのお駄賃での買い食いが 一番の楽しみでした。


飴売り
飴売り・菓子売りは、長屋まで始終売りに来ます。この店は屋台店ですが、多くの種類の飴を売っています。


焼き芋屋
看板の八里半は、栗(九里) に近いと遠慮していますが、中には栗より(九里四里)うまいと言うので『十三里』と書いた看板もありました。



オモチャ売り
手遊び物は蝶々・風車・花かんざしなどの子供むけの細工物です。
竹棹にわらを巻き付け、細工物を挿して売り歩きました。


トコロテン屋
俳句では夏の季語になっている様にトコロテンは夏の食べ物です。
このような店は季節により焼芋屋やおでん屋に形を変えて営業します。

あまざけ売り
京阪は専ら夏夜のみ売る。一椀六文とす。江戸は四季これを売り一椀八文とす。と守貞漫稿という本にあります。
二百円位でしょうか。



西瓜 切り売り
江戸時代 西瓜は赤い果肉が気味悪がられ・上品な果物ではありませんでした。
狂歌の屠蘇袋は紅絹で造った三角形の袋で、切西瓜の形なのでしょう。

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水売り
  夏の暑い日、水を汲んで、白糖と寒晒粉を加え 一椀四文に売る。 八文・十六文払うと糖を多く加う也。売り言は葉ヒヤッコイ・ヒヤッコイ
百円位で水を売っていたのです。    

唐辛子屋
この店は七味唐辛子屋で 客の注文にしたがって配合して売っています。唐辛子のからさに慣れていないのでこのような売り方をしたのでしょう。    

植木屋
路地裏まで植木鉢をならべ、季節の植物を楽しんだ江戸の住人のため、沢山の植木屋や草市が有りました。
舶来のサボテンを知らない田舎侍をからかっています。



くすり屋
江戸時代は医者と薬屋は許可が不要で、だれでも開業出来ました。
中にはいい加減なのも多く薬九層倍などと言われました。

覗きからくり
覗唐繰はレンズを仕込んだ穴から遠近法で描いた絵をのぞかせ、絵を次々替え・明暗を変えて見せる子供向の見世物で、紙芝居の大掛かりな様な物です

見世物
見世物は造り物か、少し普通と違う程度のモノを並べ、呼び込みの面白さで客を集めるものが ほとんどでした。
ここでも子供達に半分バカにされています。

軽業
 綱渡り・籠抜け・刀の刃渡りなどの軽業は多くの客を呼びました。
  中には悪事に利用されるとして禁止された芸まであったそうです。

/p> 曲場(サーカス)
曲馬は馬術の見世物ですが、はじめは、馬上での早変わりや芝居をを実際の馬を使って行いました。
幕末には米国のサーカスが来日し大評判になりました。


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射的場
楊弓(ようきゅう)は矢場(やば)とも言い、射的場です。大当たりすると キレイなお姉さんが「大当たり!」と叫んで賞品が貰え、名前を張り出してくれます。

寄席
落語の始まりは大名の話相手の御伽衆や、僧侶の説法と言われています.
この時期江戸に2百軒を超す寄席が有り、床屋や湯屋での場所借りを加えると、町内に一軒は有りました。            

講釈
軍書講釈は講談の祖です。こちらは主に浪人のアルバイトでした。
太平記物が多く、楠正成が人気で、客が少なくなると『楠出る』の看板や ビラで客寄せをしました。

娘浄瑠璃
軍書講釈が硬派の娯楽なら、軟派の代表がむすめ浄瑠璃です。
若者に人気があり、何度も禁止されながら明治まで流行が続きます。

かわら版読み売り
読売はかわら版を面白おかしい呼び声で売り歩きます。黒船来るなど時事問題からうわさ話・全くのウソ話まで、口先ひとつで売れ行きが決まります。

辻占い
江戸の庶民は占い好きで、神社仏閣だけでなく、町かどでも、お神籤が売られ、今のフォーチュンクッキーのような辻占せんべいもありました。

ビラ配り
引札は広告のことで、広告ビラ配りです。仙女香は有名な白粉水油は鬢付油です。屋敷勤めの娘に送ると言われ、喜んで渡したらティッシュにすると言われた。

かんげ
本来の勧化は、寺社奉行の許可を取って、寺社の建立・修理のための寄付を 集めますが、町にたっている連中は、鼻の下建立 (口を養う)物乞いの仲間です。

最終ページの出版広告
江戸馬喰町の地本問屋 山口屋藤兵衛の文政十三(1830)年正月の新出版広告です。
9冊の内3冊が十返舎一九の作です。一九が人気作家だった事がわかります

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